ミュージカル「ファントム」は、ロイド・ウェーバーの「オペラ座の怪人」を別の角度から描いたものだと思っていましたが、実は内容や結末がかなり違っており驚きました。
観劇歴が長いのに知らずにいたわけですが、私が感じた「違い」を書いておきます。
内容に触れますのでご了解ください。


■ファントムと父母との関係
「オペラ座の怪人」は天涯孤独。「母にも嫌い抜かれて マスクで醜さ隠され」たった一人で生きているのに対して、「ファントム」のエリックは、不幸な生い立ちではあるけれど、父母に愛されているという衝撃。
比較すると、エリックのほうがかなり恵まれていて幸せです。


城田さんのエリックは、精神不安定な幼い子供のような役作り。どもったり、癇癪を起したり・・・
「エリザベート」での城田トート役から、冷酷な大人のイメージを抱いていたので、想像と逆で驚きました。

等身大の人間を描いているそうですが、今の社会問題になっている「引きこもり」「ニート」というワードが浮かびました。理屈をこねて反論して武装している感じ。ドラマ「俺の話は長い」の生田斗真さんを思い出しました。
私が思っているファントム像は、もっと孤独で、もっと壮絶で、美しいものに恋い焦がれているイメージです。


■恋のトライアングル、三角関係
「オペラ座の怪人」ではクリスティーヌがファントムとラウルの愛の間を揺れ動き、ラストにファントムが「私を選ぶか、こいつを選ぶか」という究極の選択を迫ります。恋のトライアングルですね。

「ファントム」でもオペラ座のパトロンであるシャンドン伯爵が登場しますが、ちょっとプレイボーイ風。
エリックが二人の仲に嫉妬するシーンもありますが、クリスティーヌはシャンドンに憧れ、エリックにも母親的な愛を注ぎます。気持ちが二人の間で揺れることなく、整理されている感じ。

「オペラ座の怪人」ではクリスティーヌは「醜さは顔にはないわ。汚れは心の中よ」と歌い、仮面を外したファントムに渾身のキスをします。それが全てを溶かしてファントムの心が動きます。

「ファントム」では心が通い合った後で、「お母様のような愛があれば大丈夫。お顔を見せて」と懇願し、それに耐えられず、クリスティーヌは逃げてしまう・・・(え~~それはないよ
しかし、すぐに悔い改めて戻る。(お、偉い)
エリックも「顔を見てもらえてよかった。一瞬でも愛された。」と前向きな解釈で少しは救われました。
最後に息絶えるエリックを見守るクリスティーヌは少女から大人の女性に成長したと思います。


「ファントム」に副題をつけるなら、恋の三角関係ではなく「父子物語」だと思いました。
全ての責任はオペラ座の前支配人(エリックの父)キャリエールにありますよね?
父親だと名乗らなかったのは、自分の罪や弱さに目を背けたかったから?世間体も気になっていたから?
そんな弱さを自白している岡田さんの演技から、キャリエールも苦しんできたのだと思うことができました。

私は「オペラ座の怪人」の孤独感、そしてクリスティーヌの愛に触れて何かが溶ける感じがとても好きです。
「ファントム」の核は父子関係にあり、クリスティーヌは天真爛漫で、優しくエリックに寄り添っている・・・
そんな印象を受けました。

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