新海誠監督の話題作「天気の子」を見てきました。

この映画の美しい背景画像を味わうには、大画面で見るしかないだろう!という気持ちで迷わず出掛けました。
そしてその背景画は、実写?と見紛うほどの美しさ。
雨も光も雑居ビルも・・・実物以上にリアルで美しかったです。
ここまで仕上げるのに費やしたエネルギーは凄まじいのだろうと思いました。


ここから、ストーリーやテーマに触れつつ感想を書きますので、映画をご覧になられる方は、見終わってからお読みください。否定的な内容も含みますが、お許しを。

天気の子 フライヤー





ひと言でストーリーを説明すると・・・
「家出少年が、アウトローな大人に拾われて、天気を操る貧しい女の子と出会う話」

これまでのヒーロー物ならば、悪役を倒してラストは世界に平和が戻ります。私も一昔前の人間で、高度成長期に育っていますので、そういう正義に憧れて、平和を取り戻す話には素直に共感できます。
ところが新海監督は「現実世界はそんなにシンプルじゃないことを皆が身に沁みて知っている」と言います。

だから調和が戻らなくていい、主人公が「天気なんか狂ったままでいいんだ!」と叫ぶような話をやりたかった・・・という文章を読み、驚きました。
簡単に敵を倒したり、調和を取り戻すこと自体が嘘っぽい・・・今はそういう時代でしょうか。

しかし・・・それでいいのでしょうか。映画や舞台は、観た人に希望を与えるものであってほしいと私は思います。
たとえ悲劇だとしても、一生懸命生きた結果そうなったのであれば、悲しいけれど拍手を送れる。
ところが、主人公の男子(帆高)の過去も、家出の理由すら描かれないので、同情もできず、応援もしにくいのです。

監督によれば「トラウマでキャラクターが駆動されたり、内省する話ではなく、憧れのまま駆け抜けていく少年少女を描きたかった」そうですが、私には「反抗期の少年が、ただ毎日の生活が嫌になって現実逃避している」ように見えてしまいました。

しかもそんな危うい少年の目に映る東京は、あまりにも冷たくて・・・
世の中全部敵なのか。頼れる大人はいないのか・・と辛くなりました。
監督の言葉を借りると、これは「社会全体が帆高と対立する話」だそうです。

そんな無力な少年に銃を持たせてはいけない。持つ資格はない。不釣り合いで危険すぎます。
周りを全て壊しても取り戻したい女の子。いつ、どうして、そんなに好きになったのかもよく分からない。
畳みかけるような音楽と、美しい映像に、うわ~~っと押されてしまうけれど、立ち止まって考えると、色々腑に落ちなくてモヤモヤすることが多かったです。

この映画には「大人の目線」「大人のメッセージ」が入っていません。
危うい少年少女をしっかり抱きしめて「こうだ!」と示す大人がいません。そういう教育的な映画とは真逆です。

世の中なんてそう簡単に変えられないし、個人が世界を救えるなんて考えること自体おこがましい。大人も当てにはできない。だから、この不条理な世の中で自分の好きなことだけを追求すればいい。
・・・私はそういうメッセージを受け取りました。

「大いなる力には大いなる責任が伴う」・・・スパイダーマンのベンおじさんの言葉ですが、この作品では天気を操るという大いなる力を使うには、登場人物が幼すぎる設定でした。

私はもう、いい大人なので、これまでにない展開に驚いたまでですが、多感な成長期の少年少女がこの作品を見た時、どういう気持ちになるのか・・・そう思うと、ちょっと複雑な気持ちになりました。


にほんブログ村 演劇・ダンスブログ ミュージカルへ
にほんブログ村